自己への視点 (2006年 聖公会出版)

自己を哲学史、生命史、成育歴から把握した。
そして、キリスト教の神との内面関係が個我意識をうみ、自己責任や人権を基本とする近代社会に成立につながったことを論じた。「愛は死のように強い」とあるように、キリスト教の隣人愛は、死を乗り越えるものと位置づけられている。
その隣人愛の教えを、エーリッヒ・フロムの説く、愛することの内実および愛することの訓練、そしてマザー・テレサの実践を例に掘り下げた。その他、考察したテーマは、「カルト宗教の問題」「アダムとイブ神話」「低きに降る神」「生きる力」「苦難の意味」「死と死を超えるもの」などである。
ある調査によれば、死後世界を信じる日本人は51%、輪廻転生を信じる人は60%である。近代スピリチュアリズムは、現世での生き方が来世の生を左右すると主張する。その人間観を紹介しつつ分析した。
162頁、2,090円、単著



認知症の人間学 (2023年 風媒社)

認知症は脳の萎縮のため、何もわからなくなる病というイメージがある。しかし、認知症の人は、言い表せないだけで、本来の自己はそのまま継続している、という。
すなわち、喜び、悲しみなどの感情、自尊心、生の意味を感じる心などはそのまま維持されている。ベルクソン『物質と記憶』は失語症を分析し、脳は行動のための知覚に役立つように、記憶を焦点化、意識化する働きしかなく、持続の運動という精神のなかに全記憶は未分化のまま潜在的に現存していると例証し、脳は意識を現実につなぎとめる器官だと結論づける。
またフランクルは、生の意味を求めざるを得ない人間存在の根源を探求し、臨床経験から、心身有機体に抵抗しうる、脳機能を超えた精神の次元を根拠をあげ論じる。本書は、認知症になった人の内面的告白を、自我の構造、脳神経科学、ベルクソン、フランクルの著作を参照して、多元的視座から立体的に把握し、認知症と共に豊かに生きるための精神のあり方を探求した。
単著、四六判、218頁、 定価税込1980円、



宗教を開く (2015年 聖公会出版)

「開かれたキリスト教の探求」を担当。西田幾多郎『善の研究』第4編「宗教」は、キリスト教神秘思想や神学思想の参照、摂取が顕著であり、それに浄土真宗などの引用も交えて仏教とキリスト教に共通する基盤から人間を探求している。ただバルト、ティリッヒなどの本格的神学に論及するのは、最晩年の「場所論的論理と宗教的世界観」においてである。
次に神学思想として、バルト、アルトハウス、ボンヘッファー、テイリッヒ、八木誠一を概観した。ティリッヒは、探求の方向性が西田哲学と類似する。彼は、人間は無限的なものに属しているため、真に究極的なものを問い続けざるをえない状況にあるが、この究極的なものを伝統的宗教は、捉え損なっていて、「悲劇的な疎外状況」を示している。この究極的な関わりにおいてこそ、宗教の真偽が実存的に吟味される。
神は存在自体であり、神のなかの無こそが、無に抵抗する存在の力としての動的な「神を超える神」を証しする。これは、西田哲学の「有と無を超えた絶対無の場」に通底する論理である。
342頁、3,850円 共著



宣教と受容 (2000年 思文閣)

第一篇では幕末・明治初期の教典翻訳の解明、第二篇では、浦上四番崩れなどを史料としてキリスト教宣教と受容をめぐる諸課題を考察した。第一篇では、潜伏キリシタン復活以後、最初に刊行されたプティジャン版のいくつかは、従来の定説と異なり、漢訳教義書を読み下し、伝統的キリシタン用語で潤色していることを、その典拠本を確定して明らかにした。
横浜翻訳委員会訳『馬太傳』もまた、漢訳聖書を読み下し、それに『和英語林集成』で訳出した雅訓なルビを付記したものと判明した。第二篇では、浦上四番崩れで、教義にほとんど通じていない信徒に信仰を表明させ、殉教まで慫慂した宣教師側の意図を問い、他方で浦上信徒は、なぜ寺請制度を拒否し、流罪に甘んじ、棄教に強く抵抗したのかという疑問を多元的に分析し、その信仰の内実を解明した。
また、浦上信徒総流罪の直接目撃者である長崎在留西洋人がどのように反応したのか、新出資料から紹介した。拙著は、大英図書館、オックスフォード大学、ケンブリッジ大学などに収蔵。



国際堺学を学ぶ人のために (2013年 世界思想社)

木村信一/西尾宣明〈編〉堺とキリスト教-イエズス会宣教師の見た16世紀の堺」を担当。
堺に居住したイエズス会士の書簡とルイス・フロイス『日本史』を主な資料に記述した。資料は、対明貿易で日本一の商業都市とし繁栄した堺の様子を描く。また堺での茶事文化にも言及している。
畿内で迫害や戦乱のあるたびに宣教師らは堺に避難している。堺が宣教師の中継基地、避難場所となったのは、堺が自治都市だったことに加えて、堺の豪商でキリシタンだった日比屋了珪が隠れ場所を提供したことも大きかった。フロイスは、堺で活動した5年間(1564-1569)の間に、300 人以上に洗礼を授けた。1566年頃、キリシタン小西立佐は、堺にハンセン病者のための慈善病院が設けた。1585年には、堺に教会堂が完成している。
イエズス会の布教においては、理性的魂の不滅がよく説かれ、それに畿内の学者など知識層が興味を引かれ受洗した。堺でキリシタンになったのも武士、僧侶、医師などの知識階級であった。キリスト教というより、プラトン由来の魂の永遠という人間観が、畿内の知識層に強い説得力を発揮したことは興味深い。


