自己意識

自己意識

自己とは生成である

親しい人と対話すると感情が活気付くのは、感情が交換されるからであり、その意味では感情は人と人とのあいだに、身体を超えて広がっているように思える。われわれの日常生活においては、身体は媒体としてのスクリーンの幕のように意識にのぼらないが、痛みなどの不具合があると意識にのぼる。ともかく、死に臨むとき、われわれは自己は身体だと狭く限定しがちになる。
生と死

経験の地平を超えた世界を想像する

トルストイは、家庭も仕事も順風満帆に進んでいるとき、人生の無意味さに悩み、自殺を考えるまでになる。世界のあらゆる価値が失われ、世界は魅力を失い、よそよそしく不吉になった。この事態は、末期がんを宣告された患者にもよく起こることである。トルスト...
自己意識

自己とは生命の現れである

木村敏は書く。「生きがいとは、われわれの生の一瞬一瞬が実り豊かな死を準備する成長の過程かりうることの喜びである」。これが真実なら、どんなによいだろう。われわれの個別的生は、実り豊かな死に向かって成熟していくことが可能である。